ここに、東京登龍会、故・人見信男会長葬送の儀を、謹んでご報告申し上げます。
会員諸氏に於かれましては周知のとおり、我が東京登龍会が戴く人見信男会長が、去る9月12日(火)逝去されました。
そのわずか1週間前の6日(水)には、我々会員へのメールで、前会長であります故金田幸三氏のお別れの会への会員出席者へのねぎらいの言葉が配信されました。我々会員は「人見会長の病状が回復のきざしではないか」と大いに期待したものです。
しかし、それは、相当重篤な状態の中での、なお我々会員への渾身の慰労のことばでありました。
白高創立以来の秀才との誉れ高い人見会長の逝去は、我々会員にとり誠に残念至極であり斬鬼に堪えません。
尚、本来、しかるべきお立場の方からのご報告が当然とは存じますが、9月18日(月)及び19日(火)東京品川・桐ケ谷斎場で営まれた通夜・告別式に出席させて頂いた一人として、当日の模様等を、事務局のお許しのもとに、会員諸氏にご報告させて頂きます。
通夜・告別式ともに人見会長の偉大なる実績・交友関係の広さ、また、そのお人柄を慕う多くの方々が参列されました。地元白河からは鈴木和夫市長が弔辞を述べ、ご親族はじめ同窓の多くの方々が参列されました。また、警察トップである、警察庁・現・前・元長官や警視総監をはじめとする多くの警察官僚の姿がありました。
そして、人見会長が大臣官房当時、熱く語っていた、女性警察官僚の育成が花開き、北海道警察・函館方面本部小笠原和美本部長(女性初の本部長であり、3・11災害救助を福島県警察本部警務部長(本部長に次ぐナンバーツー)として、その陣頭指揮を担った)の供花もありました。
更に、人見会長の人望・交友関係を物語るように、官庁のみならず上場企業ほか、多彩なお悔やみの姿がありました。
そして告別式の最後には、温和なまなざしの人見会長の遺影を前に、松岡事務局長の指揮のもと、白高校歌・西秀麗の那須のみね・・を、鈴木市長、人見会長の兄上・人見光太郎氏、弟氏、そして遠藤・小山田副会長ほか会員並びに同窓生一同で声高らかにうたい、お見送りしました。
校歌をこよなく愛した人見会長が「みなさん、どうもありがとう!」と笑顔で右手を挙げて振り返る後ろ姿がまぶたに浮かびました。
ここに謹んで人見会長のご冥福をお祈り申し上げ、簡単ではございますが、葬送の報告とさせていただきます。
合掌
(文責・17回・常任幹事・庄田育夫)
人見様
お悔やみ申し上げます。
亡くなれたこと知らず今日まできました。この欄で知り、メールしました。国家公安委員長秘書官時代に一緒に仕事をしました者です。
安らかにお眠り下さい。