
私が広島市立大学芸術学部にいた頃、司馬遼太郎先生著「街道を行く」ー室津ーを読み、二度取材に行った事があった。
文中に街の中心にある室津大社に平清盛公が祈願し、その後、宮島に向かったとあり、小生九十才代の節目の作品を考えていた時期でもあり、室津を制作することにした。
今迄北国志向の作品が多かったが、節目という事で多少冒険だったが体調のことも考え昨年の夏より少しづつ仕事を進め、春の院展にこぎつける事ができた。
日本美術院の許可を得て掲載しています。
私が広島市立大学芸術学部にいた頃、司馬遼太郎先生著「街道を行く」ー室津ーを読み、二度取材に行った事があった。
文中に街の中心にある室津大社に平清盛公が祈願し、その後、宮島に向かったとあり、小生九十才代の節目の作品を考えていた時期でもあり、室津を制作することにした。
今迄北国志向の作品が多かったが、節目という事で多少冒険だったが体調のことも考え昨年の夏より少しづつ仕事を進め、春の院展にこぎつける事ができた。
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